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2020年からの10年~今後の活動について~

これまでもこれからも 思い続けているのは、オイリュトミーを深める、オイリュトミーを広めるということ。

帰国後から、この点はぶれていない。

しかし“如何に?” で、いつも悩んできた。

深めると広めるは、元の部分で同じでありながら、深めるはより個人的で内向き、広めるは社会とかかわり外向きだ。方向性は真逆で、一方に偏ると片方が希薄になる、また揺り戻し、という葛藤がいつもあった。多分これからも。その道を探りながら、まず行きたい。

 

深める方では、今一番興味があるのは、“オイリュトミーは何を見えるようにしているのか?”

究極のオイリュトミー、未来のオイリュトミーの在り方としての無言のオイリュトミー。聞こえる音がない。

そんな中で、何が見え、そしてそこでのオイリュトミーの存在理由は?

オイリュトミーが1912年に始まる前に、シュタイナーは、ある女性に、

「あなたは、ヨハネの黙示録が踊れますか?」と尋ねた。

何を持って踊れる?なのだろうか?

 

広める方では、オイリュトミーが本当に”人”とともにあることをこれまでの様々な仕事で痛感している。

人が立つことの素晴らしさ、美しさ。

うでをただ上げるだけでも、素晴らしく、美しい。

この人が人であること、私がどんなにすばらしく、美しいかということを 一人でも多くの方々と共有したい。

そしてもちろんその中から、専門的に学びたいという人がいれば、次世代のオイリュトミーの担い手も育てたい。

 

まず10年。

オイリュトミーのピラミッド作り。